葛野(かどの)学区のあゆみと変遷

葛野学区は、昭和46年4月、葛野小学校の開校に伴い西京極学区より分区独立し、平成30年で47年を経ることとなった。

明治のこのあたりといえば、葛野郡京極村大字郡(こおり)で家は50〜60戸で現在の東衣手町・南衣手町付近が旧集落部分であった。

昭和3年(1928年)、阪急電鉄京都線が西院まで開通し、「阪急西京極駅」が誕生する。昭和6年(1931年)京都市に合併され、右京区西京極となった。

昭和5年(1930年)に、昭和天皇御成婚奉祝記念として、新明町の地に京都市運動場が建設された。現在では全国高校駅伝、全国女子駅伝の開催地であり、京都市西京極総合運動公園として、京都市民のみならず全国の方々に利用される施設を有している。

また五条通が、西大路五条より西進し、国道9号線が葛野地区を二分するように東西に走ることとなった。

昭和30年に入り京都市のまちづくりとして、区画整理事業がすすみ、それまでは、農地に必要な水を桂川より引き、たんぼの周りに縦横に河川が走り、どじょうやふなといった魚がとれ、初夏の夜には蛍が飛び交う風情のある典型的な中世型の村落(郡村:こおりむら)が著しく変ぼうし、新興住宅街として大きく発展することとなる。

平成27年(2015年)の国勢調査によると、世帯数6,006、世帯人口11,492。また、最新の京都市の推計では令和3年5月1日現在では、世帯数6,329、人口11,463で比較的新しい学区ではあるが、歴史は古い。